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Your search : [ author:写真 文·楊振生] Total 3400 Search Results,Processed in 0.138 second(s)
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1. 雲南省·楚雄イ族自治州 8匹の虎が守る村
雲南省の楚雄イ(彝)族自治州に、小さな村落、麦地沖(マイディツォン)がある。ここには百戸あまりのイ族が暮らす。雲南、四川省などに広く分布するイ族は、「ロロ」と自称するグループと、「ノス」と自称するグループに分かれるが、麦地沖村の人々は「ロロ」に属する。この村では、虎がトーテムとして崇められ、毎年旧暦一月八日から十五日まで、八日間にわたる「虎舞祭」が開かれる。一月八日早朝、祭司が村の男たち全員を率い
Author: 写真 文·楊振生 Year 2000 Issue 5 PDF HTML
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2. 湖面を渡る聖なる像
雲南省大理のペー(白)族には、一種の宗教のような本主(ベンジュ)信仰がある。本主は、土地を司り、村人の禍福をすべて掌握する神である。本主をまつることによって、ペー族は、五穀豊穣と家畜の多産、厄除けを願う。村ごとに本主がおり、一部の土地では、さらに家族ごとに本主がいる。それぞれの本主に、廟があり、本主の地位、また祭る者の財力によって、相当の規模にもなる。本主としてまつられる者は、民族の別や過去の戦い
Author: 写真 文·楊振生 Year 2001 Issue 8 PDF HTML
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3. 花を召しませ―北京の花市場を歩く
北京市には現在、数え切れないほどの花屋がある。露店の花屋もあれば、大·中型の花市場も八、九カ所ある。近年、人々の生活において花はますます人気を集めており、北京では生花マーケットが徐々に形作られている。市の西北部に位置する航天橋の近くに、「航天橋花市場」がある。面積は数万平方メートル。名前の「橋」にちなんで、アーチ型の屋根を持つ広さ四、五千平方メートルの大温室が、ここのメーン会場だ。売り場一つひとつ
Author: 写真 文·楊振生 Year 2002 Issue 10 PDF HTML
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4. 第十三話 フビライの一本の矢―元
ジンギスカンは北京を攻め落したが この土地にあまり興味を示さなかった 北京を大都と呼び、元の都としたのは ジンギスカンの孫のフビライである 北の小国、燕がうぶ声をあげて二千余年 北京は初めて統一中国の都となったのだ この都の中心の皇居の位置をきめたのは
Author: 李順然=文 楊振生=写真 Year 2003 Issue 1 PDF HTML
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5. 第十四話 マルコ·ポーロと鐘楼の鐘―元
元の大都の城壁には門が十一あった 仏教と道教の守護神、哪吒(なた)にあやかったという 大都の鐘楼の鐘は市民に時を告げた 夜、百八つの鐘で街は眠りに就いたという 大都の妙応寺に白い高い塔が建った 遠くネパールから来た工匠が造ったという 大都に一人のイタリア人が住んでいた
Author: 李順然=文 楊振生=写真 Year 2003 Issue 2 PDF HTML
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6. 農村に広がる協同医療
北京市の南部、大興区旧宮鎮(町)に住む任広有さん(六十七歳)は今年一月、領収書を手にして、同鎮の医療費決算センターへとやってきた。ここで、自分の医薬費三万元(一元は約十五円)を受け取った。それは彼が昨年七月、地元の「農村協同医療」に加入してから、初めて手にした医薬費(控除額)であった。農村協同医療というこの新しい言葉は、先ごろ開かれた中国人民政治協商会議(政協)第十期全国委員会の席上、委員たちから
Author: 王浩=文 楊振生=写真 Year 2003 Issue 5 PDF HTML
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7. 第十七話 城門をめぐる―明
北京の地下鉄環状線には 十八の駅があるそのうちの十一の駅名が 門という字で終わっている 宣武門 和平門 前門 崇文門…… 北京の地下鉄環状線は 明·清の城壁の地下を通っている
Author: 李順然=文 楊振生=写真 Year 2003 Issue 5 PDF HTML
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8. 第十八話 十三の皇帝陵―明
明の十三陵のなかで いちばん大きいのは永楽帝の長陵 いちばん小さいのは崇禎帝の思陵 いちばん人が訪れるのは万暦帝の定陵定陵の地下宮殿は絢爛(けんらん)豪華だが 万暦帝は満足できなかったろう なぜなら最愛の女性が ここに葬られなかったからだいちばん大きな長陵前にも触れましたが、明の永楽帝(一三六〇~一四二四年)の南京から北京への遷都計画には、北京附近の皇帝陵の造営も含まれていました。もともと初代皇帝
Author: 李順然=文 楊振生=写真 Year 2003 Issue 6 PDF HTML
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9. わたしの北京五十万年
北京を訪れた雪舟 この旅を「観光」と記する書もあるあのころの「観光」は 「厳しい修行の旅」の同義語だったずっしり重い二字だった 物見遊山ではなかった 「観光」先の中国で半世紀も修行し北京に骨を埋めた日本僧もいた五塔寺 大鐘寺 智化寺北京に都を置いた元のフビライ(一二一五~一二九四年)は、ネパールから工匠を招いて、妙応寺にネパール風の白塔を建てました。これに学んだのでしょうか、北京に遷都した明の永楽
Author: 李順然=文 楊振生=写真 Year 2003 Issue 7 PDF HTML
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10. わたしの北京五十万年
紫禁城、それを囲む城壁 明朝は北京に城を築いた 円明園、頤和園、乾隆花園……清朝は北京に庭を造った 庭造りに精をだした乾隆帝 その庭でよく遊んだ西太后 城も、庭も、いまでは
Author: 李順然=文 楊振生=写真 Year 2003 Issue 10 PDF HTML